室井 優太郎 さん

留学期間2012年8月~2012年10月
留学時大学生
プログラムIntensive English For Communication
留学先サンディエゴ州立大学付属 ALI

僕が留学を決め、計画し始めたのは大学 1 年の 12 月でした。それまでは、「行けたらいいな」くらいの気持ちで漠然と考えていたのですが、だんだんその気持ちが大きくなり、短期間の留学だから大丈夫だろうと家族と話して 2 か月間の留学を決めました。

留学までの 8 か月間はパスポートやビザの発行、留学先、学校、生活様式などの打ち合わせであっという間に過ぎましたね。それでも自分が海外に一人で行く実感が全く湧かなくて、出発の 8 月 15 日に近づくにつれて不安にもなりました。それまで海外に行ったことが無かったのも原因の一つでした。

そして 8 月 15 日、アメリカに出発したのですが、飛行機の中で、自分で決めた留学にもかかわらず、「なんでこんなところに来ているのだろう」とか「アメリカ人の家族とまともに生活なんて出来るのか」とか考えていました。一方で、家族や親せき、友人など、大勢の人にお世話になっていたので、「2 か月間の中の 1 秒だって決して無駄にしないぞ」という気持ちも同時に持っていました。

最初に行ったのは親戚が住んでいるサンフランシスコです。僕が通うことになったサンディエゴ州立大学は 8 月 20 日からスタートだったので、サンディエゴに行く前に少しでも英語に慣れるため、サンフランシスコに住んでいる親せきの家に泊まらせてもらいました。着いたときは初めてのアメリカにドキドキでした。街を歩いているだけでも緊張してきて、自分が海外にいることが信じられなかったです。初めての買い物は、カフェでの缶ジュース。ただ、それを手に取ってレジに持っていきお金を払うだけでしたが、とても緊張しました。4 日間のサンフランシスコ滞在は少し観光して、あとは毎日街を散歩していただけでした。この時には少しアメリカの空気に慣れていたとは思いますが、これからのアメリカ滞在が不安でたまらなかったです。そんな気持ちのままサンディエゴに向かいました。

二時間くらいのフライトを終え、とうとうサンディエゴに着きました。空港に着いたときは迎えに来てくれているであろうホストファミリーに何と言って挨拶しようかなど緊張しながら考えていたのをよく覚えています。出口に行くと YUTARO と書いてあるプレートを持った背の高い二人の女性がいました。ホストマザーで小学校の先生をしているジョーンと僕と同い年で、大学に通っている娘のキャリーです。出口まで少し時間がかかってしまったので二人へそれを謝ると、二人とも「いいのよ、そんなこと気にしないで」と言ってくれました。一目で優しい人たちとわかる人たちでした。彼女らの車でお家まで行って、愛犬でパグのジョニーに挨拶し、お家の中と僕の部屋を案内してもらいました。お家の中はとても綺麗で、庭には大きなプールもありとても驚きました。用意してもらった部屋もまるでホテルの一室のようで感激しました。僕だけの部屋というのはアメリカに行ってから初めてだったので、サンフランシスコにいた時と比べ、すごく落ち着きを感じました。

次の日からサンディエゴ州立大学(SDSU)へと通い始めました。初日のオリエンテーションに緊張しながら行くと、日本人も何人かいて、同年代の日本人がいるのを知ってとっても安心したのを覚えています。それから、クラスの振り分けテストを受け、生徒全員でガイダンスを聞いていた時、隣に座った人と話す機会を与えられたので、隣に座っていた韓国人と少し話をしました。彼が僕にとって初めてできた外国人の友達で、クラスも同じだったのでその後もずっと仲の良かった Min Young(ミン ニョン)です。その日は彼とお昼ご飯を食べて、少し話をしました。しかし、彼はすでに半年アメリカに滞在していたので僕よりはるかに英語が流暢でした。だから初めは聞くことすら大変だったのですが、彼は僕に合わせて優しい英語でしゃべってくれました。彼と仲良くなると、自然とクラスの人たちとも仲良くなりました。アジアの人が多かったのですが、みんなとっても良い人たちで、僕は本当に運が良かったのだなと思っています。特に Min Young とは二人きりでも全く問題が無いくらい仲良くなって、すぐに彼は陽気な性格だということも理解しました。彼との会話で、伝えたいことをなんとか伝えようとしたり、彼が伝えようとしていることを理解しようとすることは楽しくて、しかも一度そういった経験をしたら、次からはすぐに伝えられるようになります。私は Min を中心にたくさんの留学生と英語でコミュニケーションが取れるようになりました。それは本当に楽しいことでした。

SDSU での授業には、オーラルとリーディングの二種類があり、クラスメイトもそれぞれ違います。Min やアジアの人たちが多かったのはリーディングのクラスで、オーラルのクラスにはヨーロッパの人たちだらけでした。最初に受けたテストの評価が良かったのか、そのクラスはとてもレベルが高く、ついていくのが大変でした。他の人はどんどん発言しているのに僕だけ出来ないことや、クラスメイトが言っていることを理解できないことがありました。毎日オーラルの授業に出る前は緊張して、少し授業が嫌になることもありました。そんな時、ドイツ人の Marcus(マーカス)というクラスメイトが一緒に海にサーフィンに行こうと誘ってくれたのです。彼はほとんどネイティブなのではないかと思うほど英語が話せたので、僕は行こうか迷ったのですが、みんなと仲良くなろうと思い行きました。サーフィンは全く上手く出来なかったのですが、やっているうちにみんなと仲良くなり、たくさん話をしました。特に Marcus は僕の英語をとても熱心に聞いてくれて、「なんだ、しっかりしゃべれるじゃないか」と言ってくれました。簡単な英語しか話していなかったのですが、彼のおかげで自信が持てました。その時、自分が感じたことは何でも話していこうと思ったのです。次の日からは、教室に入った時からどんどん話していきました。聞いている方からしたら、めちゃくちゃだったと思いますが、そのたびに先生が注意してくれたので会話がだんだん続くようになりました。自分よりレベルの高いクラスで授業が出来てよかったです。

留学を通して感じたことはたくさんあるのですが、まず国と国の問題というのは実にくだらないものだということです。韓国人も中国人もアメリカ人もドイツ人もメキシコ人もみんな良い人たちで、お互いの国の関係が悪かろうと、個人間ではまったく関係がありません。たしかに、中にはその国に対して良く思っていない人もいるでしょうが、国への印象というのは、個人的なもので変わるものだと思います。例えば、僕は留学の前まで韓国の人たちは何を考えているのか分からず、その考え方がどんなものなのかという気持ちを持っていました。しかし、実際に関わってみると基本的に日本人と変わらず、何もおかしなところのない良い人たちです。他の国の方々も同じです。過言ではなく、世界平和というのはこういった個人個人の関わりから生まれるのではないだろうかと本当に思いました。
室井 優太郎 さん 2

つまり、留学をしている日本人の印象は海外からの日本への印象になってしまうということです。留学に行く日本の方は日本の代表であるという気持ちを頭の隅にいれておくべきだと感じました。もう一つ、同じ留学生やチームメイトと接していて気付いたことがあります。それは、コミュニケーションを取ること、そして一緒に何かを楽しむことに年齢、国籍、性別などは一切関係が無いということです。留学に行く前は、同じ年の友達とばかり過ごしていましたが、サンディエゴではみんな年齢はバラバラでした。むしろ年齢や性別を考えることが無かったのです。みんなで遊びに行ったり、一緒に勉強したり、野球が出来たりの毎日は本当に楽しかったです。なので、みんなと別れるのはとても辛いものでした。盛大にお別れ会をやってもらった時はお恥ずかしながら、かなり泣いてしまいました。たった 2 か月しか一緒にいなかったのに、もっと前から会っていたような気がしたからです。でも、またいつか絶対に会います。その時のために英語はこれからも精進していきます。

2 か月間の留学は、その期間の何倍にも値する内容であったと自信を持って言えます。毎日やりたいことがあって、あっという間であった気もしますし、逆に長かった気もするという不思議な感じがします。とにかく、言いたいのは僕を支えて下さった方たちのおかげで、僕が今回素晴らしい留学を出来たということです。たくさんの方々が僕のために動いてくれました。なぜ、僕のためにここまで全力でやってくれるのかと何回も思いました。すべての方に感謝しています。ありがとうございました。SDSU という学校も最高でした。充実した施設とすべての疑問に丁寧に答えてくれる先生たち、すべてが素晴らしく、SDSU に決めて良かったです。

まだ、アメリカで残って勉強している友人がたくさんいます。僕も彼らに負けないくらい日本で英語学習に取り組み、またサンディエゴへ行くつもりです。将来は英語を使える職業に就いて、他の人をサポートすることが出来れば幸せだと考えています。